大判例

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東京高等裁判所 平成4年(ネ)1620号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

三ケ月章

右訴訟代理人弁護士

齊藤健

右指定代理人

加藤美枝子

外一一名

被控訴人

中林龍夫

右訴訟代理人弁護士

井口多喜男

内藤雅義

鮎京真知子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一控訴人

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

被控訴人は控訴人に対し金二〇〇一万四〇〇〇円及びこれに対する平成四年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二被控訴人

主文第一項同旨

第二事案の概要

次に付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これをここに引用する。

一原判決書三枚目裏六行目中「四〇ミリ程度で、」を「四一ミリメートル(以下「ミリ」と略記する。)×二四ミリで、胸鎖乳突筋の後上部に位置し、」に改め、八行目中「乙一」の次に「、佐藤証言(原審)」を加える。

二同四枚目表九行目中「そこで、」の次に「同医師は、右の部分について生検を実施することを考えたが、検査だけやってその結果を待っているというのでは危険なので、治療計画を立てそれとの組み合わせで生検を実施するという方針の下に、」を加える。

第三証拠

原審並びに当審における本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

第四当裁判所の判断

一争点1について

この点についての当裁判所の判断は、次に付け加えるほか、原判決書六枚目表七行目から一九枚目表五行目までと同じであるから、これをここに引用する。

1  原判決書九枚目表五行目から一〇枚目表六行目までを次のとおり改める。

「そこで、生検対象腫瘤の性質について検討する。

(1) 昭和五六年三月の生検は、東京大学医学部附属病院第二外科の外来医師において、昭和五六年三月一六日耳鼻咽喉科の井上医師らからの依頼を受け、同月二五日リンパ節生検を実施したものであり、同月三〇日付で臨床材料検査報告書(〈書証番号略〉)が作成されている(病理学的診断の欄に「Nagashima」と判読できる署名があり、所見の欄に担当として「成田」の記載がある。)。これによると、病理学的診断は「右頸部と左腋窩の結核性リンパ腺炎」とされており、所見には「乾酪性壊死、類上皮」「極めて少数のラングハンス型の巨細胞を見る。」「結核染色陰性ですが、壊死部位にはおそらく桿菌がいそうです。」「頸部の方は瘢痕化した結核ですが左腋窩リンパ節はまだ活動的です。」との記載がある。

(2) 再検査は、平成三年、二つの異なる病院の病理部において、東京大学医学部附属病院長からの依頼を受け、被控訴人の病理組織標本(ナンバー八一一七二八)を対象として実施したものであり、その結果は、①平成三年七月一一日付・東京大学医学部附属病院病理部長町並陸作成の書面(〈書証番号略〉)及び②同年八月一九日付東京医科歯科大学医学部病理学第二講座病院病理部教授部長春日孟作成の書面(〈書証番号略〉)で、それぞれ報告されている。

①の再検査結果は、左腋窩部腫瘤については、結核性リンパ節炎のために腫大したリンパ節であるとし、頸部病変については、繊維化の著明なリンパ節で、標本の中心部に凝固壊死が認められ、凝固壊死巣は標本の大部分を占めており、このように壊死と繊維化のみであることから、現在、結核の証拠も悪性腫瘍の証拠も認められないとする一方、結核の可能性は否定できないし、また悪性の病変であった可能性も否定できないとしている。

②の再検査結果は、右頸部の腫脹リンパ節については、硝子化瘢痕組織であるとし、検索材料内に特異的所見を欠き、また本病巣に速中性子線治療照射がされているので、治療前の病変については明言できないとしている。

これに対して、左腋窩部の腫脹リンパ節については、類上皮細胞肉芽腫であるとし、病因論からは、第一に類肉腫性、第二に結核性の可能性を指摘し、悪性腫瘍の可能性は認められないとして、詳細な説明を加えている。すなわち、類上皮細胞肉芽腫を形成する病変の代表は類肉腫結節と結核結節とであり、いずれもラングハンス型巨細胞を伴うが、本例では巨細胞を認めない、本肉芽腫の形態は類肉腫に近いが、中心部に乾酪様壊死を認めるところ、結核結節には乾酪壊死を認め類肉腫結節には通常それを認めない点が両者の鑑別点となっている、本例では、類肉腫肉芽腫としては肉芽腫巣の大きさが大きく、かつ肉芽腫の中心部の壊死巣が著明に過ぎ、壊死の程度は結核結節(結核性肉芽組織)のそれに近いが、壊死像は通常の結核結節のそれとは必ずしも相似ではない、等の点を挙げ、結局、本結節の成因を断言することは困難であるとしている。

(3) 右にみたように、昭和五六年の生検が「右頸部と左腋窩の結核性リンパ節炎」と確定的に診断しているのに対し、平成三年の二つの再検査の結果のうち、①は、左腋窩部腫瘤については、結核性のものであることを明らかに肯定し、頸部病変については、壊死と繊維化のみであることから、結核の証拠も悪性腫瘍の証拠も認められないとする一方、結核の可能性は否定できないし、また悪性の病変であった可能性も否定できないとしており、②は、頸部の病変については明言できないとし、左腋窩部については、第一に類肉腫性、第二に結核性の可能性を指摘し、悪性腫瘍の可能性は認められないとし、本結節の成因を断言することは困難であるとしているのであって、再検査の結果はいずれも結核性のものであることを明確に否定したものではない。もっとも、再検査の結果はいずれも結核性であることを積極的に肯定できる証拠がないとする点では共通の見方を示しているといえるが、生検対象腫瘤がいわゆる永久標本であることを考慮しても、昭和五六年の生検時から一〇年以上経過した時点における所見であることからすると、いきおい判断も慎重になり確定的な結論を避けることになるのはやむを得ないと考えられるのであって、右のような内容に止まる再検査の結果によって昭和五六年の生検の結果を否定するのは相当でない。なお、昭和五六年の生検では、極めて少数ではあるがラングハンス型の巨細胞が発見されたのに対し、再検査の結果のうち②では、類上皮細胞肉芽腫を形成する病変の代表は類肉腫結節と結核結節とでありいずれもラングハンス型巨細胞を伴う、と重要な指標を示しておきながら、本例では巨細胞を認めないとしているのであって、このことは、永久標本とはいえ多少とも変化することはあることを示すか、又は右再検査自体が確実なものではないことを示すものというべきである。

以上のとおりであるから、平成三年の二つの再検査の結果をもって昭和五六年の生検の結果を誤った診断ということはできない。」

2  同一一枚目表二行目中「無痛」から七行目「れる。」までを次のとおり改める。

「疼痛を伴うことがあることを指摘する文献が多いが(〈書証番号略〉)、「無痛性」とするものもあり(〈書証番号略〉)、一方、圧痛については、第三期に多少の圧痛があることがあるとするもの(〈書証番号略〉)、圧痛はあっても軽度であるとするもの(〈書証番号略〉)などがあるが、通常は圧痛を訴えないとするもの(〈書証番号略〉)もあり、これら文献の記載に照らすと、結核性リンパ節炎の初期症状としては、疼痛を伴うことがあり通常は圧痛を訴えないというのが一般的であるが、逆に疼痛を伴わないこともあり得るし、軽度の圧痛があることもあるというのである。しかも、痛みについては、右の各文献とも簡単に触れるのみであって、診断の決め手となるような重要な症状とみている訳ではないことが明らかである。したがって、疼痛がなく圧痛があることは、どちらかといえば結核性リンパ節炎を否定する方向に傾くとはいうものの、必ずしも重要な所見とはいえないと考えられる。」

3  同一一枚目表一〇行目中「結核性リンパ節炎」から一一枚目裏一行目中「ならない。」までを次のとおり改める。

「結核性リンパ節炎においては、複数のリンパ節が同時に侵されて腫脹し腺塊を形成していくのが普通であり、特に第二期以降はリンパ節が腫大し硬度を増し、リンパ節周囲炎を起こし隣接リンパ節の間に癒着をつくり、その結果リンパ節の塊となり(腺塊形成)、周囲組織との間にも癒着が強くなる傾向があり、腺塊形成はリンパ節結核の特有な病像であるが、このような定型的な症状所見を呈するものばかりでなく、単発性のものもあり、多発性でも腺塊形成をしない場合や腺塊形成をしても硬度の一様な場合があることが指摘されている(〈書証番号略〉)。したがって、腺塊形成がないことや硬度が一様であることは、一般的には本件腫瘤が結核性リンパ節炎ではないとの見方を支持するものといってよいが、定型的な症状を呈しない場合を想定すると、結核性リンパ節炎であることの可能性を否定することはできない。なお、腺塊形成をしない場合の状態につき、少数のリンパ節が瀰漫性の増殖性腫大をきたすものであると説明し、また、結核性リンパ節炎の特徴として、同一患者でも各病期の病変が混在していること、弾力性(初期腫脹)、硬靭(乾酪化)、波動性軟(膿瘍形成)、硬(石灰化)など種々の硬さのリンパ節を同時に触れたり瘻孔形成、潰瘍形成を伴うというように多様性の所見を呈することを指摘するものがあり(〈書証番号略〉)、本件腫瘤は、これらとは形状、性状を異にするので、結核性リンパ節炎に当たると断定することはできないであろう。しかし、だからといって右の可能性を完全に否定し去ることができるものでもない。」

4  同一一枚目裏二行目中「認められなかったとするが」から四行目中「決め手とはならない。」までを次のとおり改める。

「認められなかったとし、文献にも、結核性リンパ節炎が第二期に入ると周囲組織との間又はリンパ節相互間に癒着を起こすと指摘するものがある(〈書証番号略〉)から、この点は結核性リンパ節炎の可能性を消極に考える一つの特徴であるとはいえるが、これのみでその可能性を全面的に否定し得るものでもない。」

5  同一一枚目裏七行目中「頁)、」の次に「このように下行性に感染ないし進展する例は約四分の三を占めるとされており(〈書証番号略〉)、」を加え、一〇行目中「しかし」を「そして」に改め、一二枚目表一行目中「その」から三行目中「ものでもない。」までを次のとおり改める。

「この判断は常識的に肯認することができる。しかし、上行性に感染ないし進展するものもあり、その場合の原発部位は胸鎖乳突筋下部の裏側あるいは鎖骨上窩に当たること、そして全例の約九〇パーセントに相当する症例は右頸部又は左頸部と片側に病巣が限局されることも文献の指摘するところである(〈書証番号略〉)。」

6  同一二枚目表九行目中「(〈書証番号略〉)」を削り、同裏一行目中「しかし」から六行目末尾までを次のとおり改める。

「確かに、エックス線の過大線量が与えられれば、結核組織中のリンパ球や上皮様細胞は壊死に陥って膿瘍を作り、それが結核性潰瘍を作り、疾患を増悪させること、また線量は、二〇〇レントゲンは過大であり、三〇ないし一二〇レントゲン位の間の線量を適当に定めるべきであること等は、文献も指摘するところである(〈書証番号略〉)。しかし、右文献の記述は、結核性疾患に対し過大な線量のエックス線照射をした場合の一般的な傾向を説明するにすぎない。本件においてエックス線換算で三六〇レントゲンという線量の速中性子線を照射していながら膿瘍や瘻孔が形成されていないことは、右のような一般的な傾向に照らすと、結核性リンパ節炎の可能性が少ないことを示すものといえるであろうが、そのことのみで結核性リンパ節炎の可能性を一切否定し去ることができるものでもない。」

7  同一三枚目表二行目冒頭から八行目末尾までを次のとおり改める。

「まず、井上医師は、被控訴人の頸部リンパ節腫脹につき、触診等により主としてその硬度及び性状から上咽頭癌を凝ったのであるから、頸部の腫瘤は悪性腫瘍の主要な症状である(〈書証番号略〉)から、この診断は一応うなずけないものではない。しかし、上咽頭癌二一例について症状を調査した報告例があり、これによれば、初発症状全体のうち、鼻症状(鼻出血、鼻漏、鼻閉等)が42.9パーセント、耳症状(耳閉感、耳鳴、難聴等)が一九パーセント、脳神経症状が一九パーセント、頸部症状(頸部リンパ節腫脹等)が14.3パーセント、咽頭症状が4.8パーセントを占め、初診時症状としては、鼻症状66.7パーセント、頸部症状42.9パーセント、脳神経症状38.1パーセント、耳症状28.6パーセント等があるというのであって(〈書証番号略〉)、頸部症状よりは鼻症状が大きな割合を占め、また脳神経症状も頸部症状に比肩するものであることが明らかであるのに、被控訴人については、耳症状を含め頸部リンパ節腫脹以外のこれらの症状が確認されたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、触診等により観察された本件腫瘤の硬度及び性状から直ちに悪性腫瘍を疑ったのは一面的な見方といわざるを得ない(もっとも、本件腫瘤の発現部位は前記のとおり最も大きくて最上部のものが胸鎖乳突筋の後上部であり、リンパ節の転移が固定化されているのでTNM分類ではN3に当たるとみられるのであるが(〈書証番号略〉、飯野証言)、上咽頭癌はその初期には乳様突起下部で胸鎖乳突筋付着部後縁にN3の形で発症することが特徴であるとされているので(〈書証番号略〉)、本件腫瘤はその特徴を備えているということができ、この点は佐藤証言も認めるところである。)。」

8  同一七枚目表九行目中「飛んだ」を「富んだ」に改める。

9  同一八枚目裏一行目中「あるいはの」を「あるいはその」に改める。

二争点2について

1  速中性子線治療の沿革、有効性、昭和五五年当時における評価等について

(一) 本件においては、本件腫瘤に対する治療方法として速中性子線照射が採用され実施されたことが問題となっているので、まず、速中性子線治療の沿革、有効性及び昭和五五年当時における評価について概観することとする。

〈書証番号略〉(昭和五七年発行の文献。以下年号のみを記す。)、〈書証番号略〉(昭和五八年)、〈書証番号略〉(昭和六一年)、〈書証番号略〉(一九八二年)、〈書証番号略〉(一九七八年)、〈書証番号略〉(昭和五三年)、〈書証番号略〉(昭和五九年)、〈書証番号略〉(昭和五七年)、〈書証番号略〉(昭和五六年)、〈書証番号略〉(昭和三七年)、〈書証番号略〉(一九七八年)、〈書証番号略〉(一九八五年)、〈書証番号略〉(一九八四年)、井上証言(原審)、飯野証言(原審)、恒元証言(当審)、被控訴人本人尋問の結果(原審)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(1) 人体に放射線が照射されると、細胞中に大きな役割を占める水素の原子核又は電子に衝突して生物効果を及ぼす。エックス線やガンマ線の場合は、電子に衝突して生物効果を及ぼすが、中性子(陽子とともに原子核を構成する素粒子である。)、特に加速器によりエネルギーの高い速中性子を放射線(速中性子線)として人体に照射すると、細胞内の水素原子核に衝突してこれを跳ね飛ばし反跳陽子となり、細胞核のDNAを構成している化学物質から電子を剥ぎ取りこれに損傷を与えるという生物効果を及ぼす。また、癌細胞には放射線に対して弱い(感受性が高い)部分があり、この部分に放射線のエネルギーが吸収されると細胞が損傷を受け死滅すると考えられている。このような放射線一般の有する効果に着目し、一八九九年エックス線が皮膚癌の治療に用いられたのを嚆矢として、放射線が医療目的に利用されるようになった。そして一九三一年ころから放射線生物学が科学として発展し始めた。

速中性子線は一九三二年に発見され、一九三八年から米国において主として頭頸部の悪性腫瘍の治療に利用されるようになったが、皮膚等に対し予測を上回る重篤な障害を与えることが分かったため、原子爆弾の開発に加速器が利用されるようになったこともあって、一九四三年に一旦中断された(米国においてこの治療に携わったストーンは、一九四八年に、わずかの良い結果に比してあまりにも後遺障害がひどいので中性子治療は続けられるべきではないと報告している。もっとも、この点については、後に、当時の放射線生物学では分割照射した場合にRBE値が高くなることを予測できなかったことによるものであろうとの見方が示されている。)。一九六六年(昭和四一年)に、英国のハマースミス病院において速中性子線治療が再開され、一九七二年(昭和四七年)には米国においても臨床トライアルとして速中性子線治療が初めて行われた。

わが国では、昭和四二年に放射線医学総合研究所(以下「放医研」という。)が速中性子線治療の臨床トライアルを開始し、昭和五〇年までに表在性腫瘍を持つ患者三六名が治療を受けたが、医用サイクロトロンを導入した本格的な速中性子線治療の臨床トライアルは、放医研において昭和五〇年から、医科研において昭和五一年から、それぞれ開始された。

(2)  速中性子線をエックス線と比べた場合の放射線生物学的な特徴としては、①酸素効果比がエックス線より低いため、酸素の少ない癌細胞に対する治療効果が優れていること、②照射を受けた細胞の回復(亜致死障害からの回復)がエックス線に比べて劣るため、放射線損傷からの回復の強い癌に対する適応において有利であること、③放射線の感受性は細胞が分裂する各時期によって異なる(分裂する時期は敏感で、DNAを合成する時期の後半及び分裂に入る前の休止期は抵抗性がある)が、速中性子線ではその変動の差が少ないため、平均した照射効果が現れる(効きやすい)こと、④同じ量の放射線が照射された場合の線質による効果の差異(生物学的効果比といい、RBEで表される。)が、中等程度のエックス線(二〇〇kvp)を基準一とした場合に、速中性子線はその数倍に及ぶこと(当初は2.4ないし3.0とされていたが、昭和五三年の米国ワシントン大学の報告例でマウスに対する一回一〇〇ラドの分割照射の実験で3.9という数値が示されたものがある(〈書証番号略〉)。ちなみにコバルトは0.9である。)などが挙げられる。

このうち、③の特徴は一九四〇年ころ明らかにされたものであり、また①の特徴が癌の治療に大きな影響をもつことが指摘されたのは一九五五年ころであり、科学的に立証されたのは一九六〇年代の研究によってである。しかし、④の数値については定まったものがなく、本件の速中性子線治療が行われた後の時点における報告例ではあるが、一回当たりのガンマ線量二〇〇ラドの場合の一六MeV中性子線のRBEは5.2であるとするもの(〈書証番号略〉、昭和五六年)もある。

これらの特徴は、一面において、速中性子線照射がエックス線照射等に比べて癌治療に優れた効果を発揮するが、反面、放射線治療一般に共通の問題として正常組織の損傷の危険性があるほか、速中性子線治療の特徴として正常な細胞が照射を受けて損傷を被った場合に回復が劣るという重要な欠点があることを示すものである。晩期障害として脳壊死、放射線脊髄炎があり、ともに治療法がなく悲惨な結果を招くため、特に放射線の強力な速中性子線を使用する場合はこれらの障害を発症させないような努力が必要であるとされている。

(3)  放射線照射による治療の基本は、前述のように放射線の有する生物効果等により患部の細胞に直接間接に攻撃ないし損傷を与えこれを死滅させるというものであるが、右にみたように照射が周囲の正常な細胞にも及んで損傷を与え、重大な結果を生ずるという危険性がある。この点については、耐容線量と装置の問題がある。

耐容線量は、これ以上放射線照射をすると損傷発生の確率が上がるというところで決められなければならない。フランソワベクレッセセンターの標準的なコバルト照射法による治療では、等中心法で線源中心間距離八〇センチメートルが用いられ、症例の分析結果から示唆される耐容線量は、三ないし五個の脊髄が均等に照射される場合には、五〇〇〇ラド(三五日間に二五回照射)である旨の報告が示されている(〈書証番号略〉、昭和五三年)。

放射線治療装置は、放射線の種類によりそれぞれ異なり、速中性子線を放射する装置としては、サイクロトロンと呼ばれる粒子加速器がある。

医科研の本件サイクロトロンは、米国のTCC社製CS―三〇型(AVF型)であり、治療には約六MeVの速中性子線を利用している。ビームは水平方向に固定されているため、市販のアイソセントリック装置と比べると、患者の固定、位置決めが難しく、非常に使いにくいと言われ、照射野の設定は、放医研のサイクロトロンのように電動絞りではなく、人力による差替え式なので治療はかなり複雑である。また、ガンマー線の混在、散乱線の存在等のマイナス要因もあると飯野医師自身によって指摘されている(〈書証番号略〉)。そして、本件腫瘤のように耳介下部における照射を必要とする場合は、側臥位では安定せず一定の治療効果が得られないことから仰臥位を取らざるを得ないと解されるところ、水平ビームであるため、脊髄への照射を避けることはできず、その点では放医研のサイクロトロンが垂直ビームであるため脊髄を含ませない照射が可能であるのと対比して、放射線脊髄炎を発生させる危険は大きいものであった。

この加速器を使用した治療方法としては一般に分割照射が有効であるとされている。これは、患部の細胞のうち酸素の行きわたった部分にまず放射線の効果が及んで細胞が死滅し、その結果従来酸欠状態にあった細胞に酸素の供給が回復して酸素が行きわたることになるため、その部分に対しまた放射線を照射するというものであり、具体的には、癌の治療の場合には、月、火、水、木、金の五日間照射をし、それを六週間継続して行うというのが基本である。

なお、いったん治療を開始した以上、中断して経過観察をしたり、他の治療法に切り替えることは望ましくないとされている。

(4) 速中性子線治療の成績について概観する。

英国では、昭和五二年のハマースミス病院の報告例で、進行した頭頸部癌の局所治癒率が五四パーセントで、従来の放射線を用いた場合の一二パーセントを大きく上回るというもの(〈書証番号略〉に引用)があるが、それ以後は欧米の施設からはこれに匹敵する成績の報告がなく、一九八二年(昭和五七年)当時においても、ハマースミス病院の報告例を他の施設で再現できなかったと報告されているくらいであり、かえって速中性子線の晩期反応の強さが強調されていた。ハマースミス病院のサイクロトロンはエネルギーが低く(一六MeV)深部到達力が弱いため、対象は頭頸部腫瘍が多く、唾液腺腫瘍等には相当の治療効果が認められたものの、無作為抽出試験ではないため、その治療成績に対する批判も多かったとされている。英国での無作為抽出試験の結果は、頸部腫瘍では、腫瘍の縮小率、再発生率に差はみられず、後期障害は中性子線群に多く、生存率は光子線群(エックス線、ガンマ線)の方が良く、脳腫瘍でも光子線群の方が生存率が良く、ただ唾液腺腫瘍については中性子群の方が優れていた。

米国では、一九七八年(昭和五三年)のワシントン大学の報告例で、頭頸部偏平上皮癌の頸部リンパ節転移に対する速中性子線照射の評価として、原発巣が制御され、かつ転移消失を見た症例が、リンパ節の腫脹が三センチメートル以上六センチメートル以下のもので速中性子線では八二パーセントの制御率であり、従来の照射より有意の差があるとするもの(〈書証番号略〉)があり、一九八四年(昭和五九年)の研究報告でも、頭頸部の非常に進行した偏平上皮癌に対し中性子線が有利である可能性を示した例が紹介されており(〈書証番号略〉)、また一九八五年(昭和六〇年)の研究報告でも、同趣旨のものがみられる(〈書証番号略〉)。しかし、米国での無作為抽出試験の結果は、頭頸部腫瘍では局所生存率、障害発生率に差はみられなく、脳腫瘍では、剖検では中性子群の方が腫瘍への効果は大きいと考えられたものの、平均生存月数には差はみられなかった。

わが国の例では、昭和五〇年から昭和五五年までの間に速中性子線臨床トライアルの対象となった六七九名についての報告(〈書証番号略〉)があり、頸部リンパ節転移癌(N3―リンパ節が癒着して固定した状態のもの)一五例中一〇例(六六パーセント)が局所制御されたとしている。しかし、わが国においては無作為抽出試験は事実上実施できないので統計的有意差は得られていないとされている。

臨床経験が蓄積されて、頭頸部癌を速中性子線の分割照射で治療した場合に六一パーセントの治癒率が得られ(エックス線治癒では四七パーセント)生存率も速中性子線治療の方が優れていると報告する例も現れたが、頭頸部癌の成績は従来の放射線治療成績と全く変わっていないとされている。

いずれにしても、欧米における速中性子線治療の成績を総合すると、速中性子線治療は、その評価は未だ明確に定まっているとはいえず、試行的に使用されてきたにすぎないというのが実情である。

昭和五六年当時、全世界では一五の施設(わが国の放医研と医科研を含む。)で速中性子線治療を実施していたが、大部分はトライアル(試行)として行われていた。放医研では昭和五〇年から昭和五六年までの約六年間で八二五人、医科研では昭和五一年から昭和五六年までの約五年間で三〇六人に対して実施しているが、あくまでトライアルであるから、治療を受ける患者は費用を負担しなくてもよいことになっている。井上医師も、本院放射線科には年間五〇人以上の治療を依頼しているが、速中性子線治療については頸部腫瘍について年間一〇人足らずしか依頼していない。

(二) 右認定の事実によると、速中性子線治療については酸素効果比が低いことなどから頭頸部の腫瘍等一部の疾患に対して従来の放射線治療に比べて効果があるという臨床例が報告されてはいたものの、その原理が速中性子線が細胞内の原子に衝突してその構造に生物効果を及ぼし細胞に損傷を与えるという点に着目したものであることから当然のこととして、正常な細胞に対する損傷の危険性があり、また加速器の構造から、患部だけを対象とする照射技術が確立していないため右危険性は大きく、脳、脊髄の受ける放射線障害の悲惨なことが指摘されていたものである。

速中性子線が悪性腫瘍に対して治療効果があることと、正常組織に対して損傷を及ぼすこととは、原理的には同じことであるから、正常組織に対する損傷の危険性を完全に回避する治療方法が確立されなければ、速中性子線治療は危険を伴う治療方法であるとの評価を免れないことになる。

以上の記述は主として〈書証番号略〉と〈書証番号略〉に依拠したものであり、〈書証番号略〉は昭和五七年、〈書証番号略〉は昭和六一年に発表されたものであり、また、各報告例のうちハマースミス病院に関するもの以外(〈書証番号略〉に引用のもの)は昭和五六年以降に発表されたものである。したがって、昭和五五年当時においては臨床例や報告例はもっと少なかったことが明らかであり、被控訴人に対し本件治療が行われた時点における速中性子線治療の評価についても右に述べたことが当てはまり、その有効性について未だ定まったものがないとともに、危険を伴う治療法である等、不確定な要素が多かったというべきである(なお、恒元証人(当審)が放射線治療の評価等について述べるところは、現時点におけるものも含まれており、昭和五五年当時におけるそれと明確に区別しないまま述べている部分もあるから、全面的には採用できないものである。)。

2  医師の注意義務

本件においては、主治医である本院耳鼻咽喉科の井上医師は、前記のような臨床所見に基づいて被控訴人の頸部腫脹を悪性腫瘍と判断し、放射線照射が必要であると考え、放射線科に治療を依頼し、放射線科の飯野医師は、速中性子線照射による治療を採用することを決め、これを実施したものである。そこで、上記のような速中性子線治療の当時における状況に照らして、治療に当たった右医師らにどのような注意義務が要求されたか、またその違反がなかったかどうかについて判断することとする。

(一)  ある疾患が悪性腫瘍であるかどうかは、そうでない場合と比べて、早期治療の必要、治療方法の選択その他あらゆる面において極めて重大な差異をもたらすものであるから、早期発見の要請はあるものの、その診断は慎重でなければならず、医師が当該疾患につき臨床所見によって悪性腫瘍の疑いをもった場合は、可能な限り各種の検査方法を駆使して真実悪性腫瘍であるかどうかを解明し、その結果に基づき適切な治療を実施すべき注意義務があると解される。そして、どこまで右のような注意義務を尽くすことが要求されるかは、悪性腫瘍の疑いの程度、生命、身体の危険性及び緊急性の程度等によって異なるというべきであるが、当該腫瘍が転移性のものであるとみられる場合には、原則として、原発巣の発見に努め、可能な限り生検等の方法により病理学的に診断を確定することが要求されると考えられる。

(二)  放射線科の医師は、他の科の医師から放射線治療の依頼を受けた場合、依頼者である医師との間で、当該疾患が悪性腫瘍であるか、その疑いがどの程度確実なものであるか、その治療に放射線治療が適しているか、どのような放射線を照射するのがよいか等につき十分協議をして、当該患者に適切な治療が行われるようにするとともに、不必要な放射線の照射が行われて正常な細胞が損傷を受け重要な結果を生ずることがないように、可能な限り配慮する注意義務があると解される。

(三)  右(一)、(二)に述べたような注意義務を負う医師らにその違反があったか否かを判断するに当たっては、悪性腫瘍という診断の確実性、放射線治療の有効性及び放射線治療のもたらす危険性をそれぞれ比較衡量することが必要である。すなわち、悪性腫瘍との診断が確実で、かつ当該患部に対する放射線治療が有効であり、その治療をしなければ重大な結果をもたらすおそれのあるときは、多少危険を伴っても治療を実施すべきであるが、反対に、悪性腫瘍との診断の確実性及び当該患部に対する放射線治療の有効性に疑問があり、必ずしもその治療をしなくてもよいと考えられるときは、危険性を伴う治療は極力避けるべきであると考えられる。

3  本件における速中性子線治療の採用及び実施について

(一) 前記引用にかかる原判決「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」掲記の事実並びに〈書証番号略〉、井上証言及び飯野証言(いずれも原審)によると、井上医師は、昭和五五年四月二一日、耳鼻咽喉科外来において初めて被控訴人を診察し、問診、視診、触診により悪性腫瘍であるとの疑いをもち、検査だけやってその結果を待っているというのでは危険なので、治療計画を立てそれとの組み合わせで上咽頭に対する生検を実施するという方針を立て、治療方法としては放射線治療を選択すべきであると考え、即日医科研の熊澤医師に対し同日付依頼状をもって診察、治療を依頼したこと、右依頼状には、右頸部腫瘍の患者であり、触診上はリンパ上皮腫が最も疑われる旨及び原発巣ははっきりしないが上咽頭から生検の予定である旨が記載されていたこと、当時医科研放射線科には放射線治療装置としてコバルト六〇治療装置と中性子線治療装置であるサイクロトロンとがあったが、井上医師はこの時点では、放射線の種類の選択は医科研の医師に任せる考えであったこと、井上医師からの依頼状を受取った医科研の熊澤医師は、右腫瘍はサイクロトロンの適応であると考え、被控訴人をサイクロトロンの担当である飯野医師に回し、飯野医師も速中性子線治療が妥当であると考えて照射計画を立てたこと、熊澤医師は井上医師に対し同月二四日付の二通の返書を送り、頸部だけでなく上咽頭にも照射したほうがよいか意見を聞かせてほしい旨問い合わせるとともに、翌日から速中性子線治療を開始したい旨通知したこと、これに対して井上医師は、右同日付の返書をもって、上咽頭はあまり悪性腫瘍らしくない旨及び四月二八日生検の予定であるが、照射は頸部だけということでいかがかとの返事をしたこと、そして同月二五日付の飯野、熊澤両医師の連名の返書をもって、井上医師に対し、本日より中性子を頸部リンパ節に対し一二〇ラドを週二回開始した旨通知したこと、これに対し、井上医師から放射線の種類、照射開始時期等について異議を申し出ることもなかったこと、このようにして被控訴人に対する速中性子線治療が開始されたことが認められる。

右事実によると、被控訴人に対する速中性子線治療は、井上医師と熊澤、飯野両医師との了解の下に採用され開始されたものと認められるのであるが、井上医師が被控訴人を診断した四月二一日から速中性子線治療の開始された同月二五日までの間の経緯は上記認定に尽きるのであって、井上医師は初診の際の一回の触診等による臨床所見だけで悪性腫瘍の疑いをもち、即日放射線治療の依頼をし、熊澤医師と飯野医師はこの依頼をそのまま受け入れ、三日後には翌日から速中性子線治療を行うことを決定したのであり、右医師らの間には上記のような内容の書面によるやり取りしか行われておらず、しかも、井上医師が生検を予定していたのに、それを待たずに速中性子線治療が開始され、これに対して井上医師からも異議は述べられなかったのである。

(二)  前記注意義務の内容及び判断基準に照らすと、井上医師及び飯野医師が、本件腫瘤につき単に触診等の臨床診断のみに基づいて悪性腫瘍と診断し、それを前提とし、生検による病理学的組織診断に基づきそれを確認することのないまま、しかも腫瘍の性質、程度、放射線治療の有効性、必要性等につき、なかんずく正常細胞の損傷等の危険を犯しても本件腫瘤に対し速中性子線治療を実施する緊急の必要性があるかにつき相互に検討することなく、単に前記の程度の書面による応答をしただけで、速中性子線治療を採用し実施したことは、その限りにおいて問題があるように思われないでもない。

そこで、病理学的組織診断を待たずに臨床診断のみで治療を開始する必要性及び緊急性があったかどうかが問題となるが、この点についての当裁判所の判断は、この時点における対応としては右医師らに注意義務違反があったとするのは困難であるとするものであり、その理由は、次に付け加えるほか、原判決書二五枚目裏一〇行目から二八枚目表五行目までと同じであるから、これをここに引用する。

(1) 原判決書二七枚目裏六行目中「必要であると」の次に「医師らが」を加える。

(2) 同二七枚目裏一〇行目冒頭から二八枚目表五行目末尾までを次のとおり改める。

「ところで本件では、既にみたように、井上医師は四月二一日、検査だけやってその結果を待っているというのでは危険なので、治療計画を立てそれとの組み合わせで上咽頭に対する生検を実施するという方針を立て、放射線科の熊澤医師に対し生検の予定があることを伝えて被控訴人の放射線治療を依頼し、また四月二四日には、熊澤医師から翌二五日から速中性子線治療を開始する旨通知されたのを受けて、同医師に対し上咽頭の生検を同月二八日に実施する旨を伝えたものである。したがって、その時点において井上医師が考えていた治療計画は、四月二八日に生検を実施しその結果を考慮することを前提に、四月二五日から速中性子線治療を開始するというものであったということができる。そして右の日程からすると、治療開始後早い段階で生検が実施されその結果が明らかになることは、井上医師にとっては当然の前提であったし、熊澤、飯野医師らにおいても予測できたことである。

このような場合、生検の結果が出るまでの間に限っていえば、それほど長期に及ぶことは考えられず(現に本件では、生検実施の四日後であり速中性子線治療開始の七日後である五月二日に結果が出ている。)、放射線治療に伴う危険性といっても、まだ重大な結果をもたらすほどの量の照射が行われない間のことである(仮に生検実施後結果が出るまでに一週間かかるとしても、照射回数はせいぜい三回位、多くても四回であろう。)から、井上医師が上咽頭の生検を予定しつつ、ただその結果を待っているというのでは危険であるということから、それとの組み合わせで、すなわち生検の結果を考慮することを前提にまず放射線治療を開始しようと考えたのは、それが早期治療の要請にそうものでもあることからすると、この時点における対応として同医師に注意義務違反があったとするのは困難であり、飯野医師についても同様であるといわなければならない。原審における鑑定の結果及び佐藤証言のうち、これと異なる見解を述べる部分は採用しない。」

4  上咽頭からの生検の結果が判明した時点以降について

被控訴人について、昭和五五年四月二八日に上咽頭の隆起部分の生検が行われ、同年五月二日に悪性ではないという結果が出たことは、さきにみたとおりである。そこで、右のような生検により悪性ではないことが判明した後に速中性子線照射を継続したことに注意義務違反がないかどうかを検討することとする。

(一) 前記のとおり、井上医師は、本件腫瘤の原発巣としては上咽頭が最も疑われると考え、上咽頭の後上壁右寄りにわずかな隆起があるのを確認し、昭和五五年四月二八日この部分の生検を実施したが、五月二日に悪性ではないという結果が出た。

〈書証番号略〉、井上証言及び飯野証言(いずれも原審)によると、被控訴人に対する速中性子線治療は四月二五日に開始され、六月九日まで行われたこと、照射計画は、ハマースミス病院の例にならって一回一二〇ラドを週二回、合計一二回照射するというものであったが、予定より二回多く、右の間に合計一四回の照射が行われたこと、生検が実施された四月二八日までには同日実施分を含め二回照射が行われ、生検の結果が出た五月二日までには同日実施分を含め三回照射が行われたこと、一方、速中性子線治療が行われた右の間、井上医師は四月二八日、五月八日、五月一九日、六月二日及び六月九日に被控訴人を診察したこと、生検の結果は五月二日に出たが、井上医師は五月八日の診察日に生検の結果を見て悪性腫瘍ではないとされていることを知ったこと、しかし、同医師は、四月二五日付の飯野医師からの返書に「上咽頭に一寸照射野がひっかかります(線量は八三ラド/回)」と記載されていたことから、生検の対象となった上咽頭が生検前に二回照射を受けたために癌細胞が消滅したものであると解釈したこと、右五月八日の時点までには五回照射が行われたこと、井上医師は右生検の結果を飯野医師に伝えず、速中性子線の照射はその後も続行されたこと、一〇回の照射を終えた五月二六日に、飯野医師から井上医師に対し、同日付書面で、一〇回の照射をし耳介下部の主腫瘤は急速に縮小したが、頸部下部の転移らしき腫瘤はあまり縮小していないので転移か否か疑問に思われる旨伝えるとともに、検査の結果は如何であったか、そろそろ照射野を小さくしたいが縮小せぬ腫瘤は外してよいかとの問い合わせがあったこと、そこで、井上医師は五月二六日付の返書をもって生検の結果が悪性ではなかったことを伝え、飯野医師はこのとき初めて生検の結果を知ったこと、以上の事実が認められる。

(二)  井上医師としては、自ら原発巣として最も疑いをもった上咽頭の隆起についての生検の結果が悪性ではないという重要な内容を示すものであったのであるから、少なくとも一つの可能性として本件腫瘤が悪性ではないことを考えるべきであった。生検を実施した四月二八日の時点では速中性子線の照射はまだ二回行われただけであったから、生検の対象となった上咽頭の原発巣が既に消滅していたという可能性はどちらかというと少なかったとみるべきではなかろうか。同医師は、悪性度の高い腫瘍に限って放射線の感受性は非常に高いので、一、二回照射しただけで消滅することはよく経験することであると述べているが、わざわざ生検を実施しておきながら、この程度の考えで生検の結果を重視しないままに終わったのは疑問である(なお、同医師は、上咽頭の隆起した部分の生検に当たり表面しか切除しなかったので、縮小して奥に引っ込んだ部分は採取できなかったのではないかとも述べているが、十分な根拠があるとは考えられない。)。もっとも、〈書証番号略〉及び井上証言(原審)によると、右上咽頭の隆起は、井上医師の視診では悪性の特徴をはっきり示しているとはいえないものであったこと、一方、本件腫瘤は、触診等により悪性の疑いが非常に強かった上、井上医師が生検の結果を知った時点で既に五回の照射を終わり本件腫瘤は最大のものが二五×二一にまで縮小し、柔らかくなっており、同医師はこのような事実にも着目していたことが認められるから、右生検の結果だけで本件腫瘤が悪性のものでないと即断するのも早計であったと考えられる。そこで、他に原発巣があることの可能性も考え、これを発見するための方途を尽くすべきであったし、原発巣を発見できない場合には、本件腫瘤自体について生検を実施することをも含め、本件腫瘤が悪性のものであるかどうかを確定するための方策を更に講ずべきであったと考えられる(この時点で本件腫瘤に対する生検を行うことは正確な組織診断が期待できないから無意味であったとは必ずしもいい切れない。)。

速中性子線治療の評価が定まったものでなく、また正常組織に対し損傷を及ぼす危険性のあること(〈書証番号略〉によると、脊髄に当たる方法で照射した場合には耐容線量内であっても副作用が起こる可能性があることが認められる。)を考慮すると、速中性子線治療を継続すべきかどうかは、状況の変化に応じ検討を重ねるべきものであり、右(一)にみたように、原発巣と疑われた部位について悪性ではないという生検の結果が出た五月二日までの間、速中性子線の照射は同日実施分を含めてまだ三回行われたにすぎないのであるから、この時点で照射を止めれば、正常組織に損傷を及ぼす危険性は少なくて済んだと考えられ、したがって、その後も速中性子線治療を続行するかどうについては慎重な考慮が必要であったというべきである。

なお、〈書証番号略〉によると、腫大リンパ節からの生検は腫瘍細胞播種の危険を伴うから避けるべきであるとされていることが認められるが、一方、〈書証番号略〉によると、どうしても原発巣を発見することができず、かつ治療を施す上で悪性腫瘍であるか、どのような悪性腫瘍であるかなどを診断することが必要不可欠であると認められる場合には、腫大リンパ節からの生検を実施することも必要であると認められる。

以上述べたところに、原審における鑑定の結果及び佐藤証言を合わせ考えると、生検の結果が出た五月二日の直後の時点で、井上医師は、前記のようないくつかの可能性を認識するとともに、これらの可能性のいずれが最も強いものであるかの検討を行い、そのために、更に原発巣を探索し、繰り返し疑わしい部位の生検を実施し(〈書証番号略〉は昭和六二年の文献ではあるが、上咽頭癌につき的確な場所から生検を行うことが難しく偽陰性になることがあるので、繰り返し行う必要があることを指摘している。)、原発巣の発見ができないときは、腫大リンパ節の生検を実施し、病理学的確定診断を得て、本件腫瘤への速中性子線照射の継続が必要かつやむを得ないものであるかを確認し、その必要性及び有効性に疑問がある場合にはこれを中止ないしは中断し、より適切な治療方法を選択すべき業務上の注意義務があったというべきである。

また、放射線の専門医である飯野医師としては、放射線照射の依頼を受けた時点で近々生検を予定していることを知っていたのであるから、照射開始後においても絶えず生検の結果に関心を持ち、漫然と照射を継続することなく、本件腫瘤への速中性子線照射の継続が必要かつやむを得ないものであるかを確認し、正常な細胞への放射線損傷を最小限にとどめるべき業務上の注意義務があったと解すべきである。

(三)  ところが、井上医師は、前記認定のとおり、速中性子線治療の開始後五月二日には悪性腫瘍ではないとの生検の結果が出ていたにもかかわらず、次回の診察日である五月八日になって初めてこれを知り、生検前二回の照射により癌細胞が消滅したことによるものであると即断し、その後他の原発巣を積極的に探索したり、疑わしい部位あるいは本件腫瘤については生検等を実施することなく、しかも五月二六日に飯野医師から問い合わせを受けるまで右生検の結果を同医師に伝えず漫然と速中性子線治療を継続するに任せたものである。井上医師は、さきにみたように、当初放射線治療計画との組み合わせで上咽頭の生検を実施するという方針を立てており、生検の結果を考慮するという前提で速中性子線治療を開始したとみられるのであり、照射回数が増えればそれだけ正常組織に対する損傷の可能性も増すのであるから、生検の結果については絶えず関心を払い、次回の診療日を待たずとも、生検の結果が出れば直ちにこれを確認しその後の治療計画を検討すべきであった(大学病院その他の大病院においては、カルテの保管、整理等の関係上、次回の診察日に出されたカルテを見て初めて担当医師が検査結果を知るというのが常態であるかも知れないが、次回の診察日を待たずに検査結果を知ることは、医師がそのつもりになれば可能であり、そのことを要求することは決して実情を無視したものではないと考えられる。)。井上医師はこのような対応を怠り、漫然と速中性子線治療を継続するに任せたのであるから、この点において前記注意義務の違反があったといわなければならない。

また飯野医師は、四月二五日に速中性子線治療を開始するに先立って井上医師から同月二八日に生検を実施する予定であることを知らされていながら、五月二六日に問い合わせてその結果を知らされるまで約一か月の間、漫然と照射を継続し、一〇回の照射を行ったのであるが、飯野医師としてもやはり生検の結果については絶えず関心を払い、井上医師から連絡がなければ自分の方から問い合わせて結果を確認し、検査結果の如何によっては速中性子線の照射を中止することも含めて照射計画を再検討すべきであったと考えられる。このように心がけていれば、飯野医師は生検の結果が出た五月二日の直後の時点で悪性ではないとの検査結果を知ることができたはずである。飯野医師においてこれをしないで照射を継続したことは、前記注意義務を尽くさなかったものといわなければならない。

なお、速中性子線治療は一旦開始した以上中断、中止するのは望ましくないとされていることはさきにみたとおりであるが、それは主として治療効果の持続性等からする配慮であるとみられるのであって、前記のような状況においてさえ中断、中止すべきでないとの要請があるとは考えられない。

5  一〇回の照射が完了した時点以降について

この点についての当裁判所の判断は、次に付け加えるほか、原判決書三二枚目裏九行目から三五枚目裏八行目までと同じであるから、これをここに引用する。

(一) 原判決書三二枚目裏九行目中「一〇回」から三三枚目表二行目末尾までを次のとおり改める。

「さきにみたように、一〇回の照射を終えた五月二六日に、飯野医師は井上医師に対し同日付書面で、一〇回の照射をし、耳介下部の主腫瘤は急速に縮小したが、頸部下部の転移らしき腫瘤はあまり縮小していないので転移か否か疑問に思われる旨伝えるとともに、検査の結果は如何であったか、そろそろ照射野を小さくしたいが縮小せぬ腫瘤は外してよいかと問い合わせたことが認められる。そこで、この時点において、前記注意義務違反の点、具体的には速中性子線照射の継続の必要性について、何らか特段の事情が認められるかどうか検討することとする。」

(二) 同三四枚目表二行目冒頭から五行目中「範囲内であり」までを次のとおり改める。

「一回の照射量を、腫瘍の部分に対しては深さ三センチメートルの所まで一二〇ラドの線量を与えたいということで、そのように設定した場合、吸収される線量の割合は右三センチメートルの所で九〇パーセントであり、これを頸椎の部位では約六三パーセントと推定して右の比率により計算すると、頸椎の部位における照射量は八三ラドになり、一四回の照射で一一六二ラドとなって耐容線量の範囲内であるというのであり(〈書証番号略〉、飯野証言(原審)第一五回、二二〜二四丁)(なお、右の比率に従って計算すると、正確には一二〇ラドに対して七〇パーセントで八四ラドになり、一四回の照射では一一七六ラドになるはずであるが、いずれにしても耐容線量内である。)」

(三) 三四枚目裏六行目中「頸椎への照射を六五で採ると」を「仮に頸椎の部位における前記吸収の割合を六五パーセントとすると」に改め、八行目中「すること(」の次に「前掲〈書証番号略〉の図表によれば、右の割合はおおよそ六〇パーセントから六五パーセントの間の数値を示すとみられるのであって、飯野証言においても六五と五〇の間を目盛で測るようにして六三と推定したというのである(第一六回、三丁)から、六三というのは絶対的なものではなく、現実には頸椎の部位において六五パーセント位の線量が吸収されたという可能性がないわけではないと考えられる。また、」を加える。

(四) 同三四枚目裏九行目中「、医科研」から一一行目中「一七丁)」までを削る。

(五) 同三五枚目表二行目中「十分に」を「あり得ることと」に改める。

(六) 同三五枚目表四行目中「この時点で」を「この時点において、前記4の時点における注意義務違反の点につき別異に解すべき特段の事情があったと認められることはできず、かえって、」に改める。

6  以上を要するに、井上医師及び熊澤医師、飯野医師らにおいて、速中性子線治療を開始した時点における判断としては、直ちに注意義務違反があったとはいえないが、生検の結果が出た後においては右治療を継続すべきでないにもかかわらずこれを継続して実施した点において、医師としての注意義務違反があったといわなければならない。

三争点3について

損害についての当裁判所の判断は、原判決書三六枚目表九行目から三七枚目裏三行目までと同じであるから、これをここに引用する。

四結論

井上、飯野両医師が被控訴人の本件腫瘤について速中性子線治療を実施したことは、前記のような理由で注意義務に違反したものであり、両医師には過失がある。

右速中性子線治療と前記損害との間の因果関係の存在は当事者間に争いがない。右両医師の注意義務違反は昭和五五年五月二日に悪性ではないとの生検の結果が出た直後の時点においてとらえるべきであることはさきにみたとおりであるが、被控訴人の受けた速中性子線の照射回数が合計一四回であるのに対し、右同日までの照射回数は三回にすぎない(なお、〈書証番号略〉によると四回目の照射は五月五日に行われたことが認められる。)から、右五月二日までに行われた照射が原因となって被控訴人が照射性脊髄炎となった可能性はきわめて少ないというべきところ、これを肯定するに足りる証拠はない。したがって、右注意義務違反についても因果関係を肯認するのが相当である。

そうすると、右両医師の使用者である控訴人には右損害につき不法行為に基づく損害賠償責任があるというべきである。したがって、被控訴人の本件請求は理由があり、これを認容すべきである。これと結論を同じくする原判決は相当である。

よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

なお、控訴人は民訴法一九八条二項に基づき仮執行の原状回復等の申立てをしているが、右は原判決が取り消されないことを解除条件とするものであるから、この申立については判断を示さない。

(裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 新村正人 裁判官 市川賴明)

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